アイレ(Aire)
アイレとは、文字通りそもそもは『空気』の意ですが、『雰囲気』そして『態度やふるまい』と言った意味を含む言葉であり、フラメンコについて話されるときに、しばしば聞く言葉です。
アイレはトーケの形式とテンポによってだけでなく、その演奏者に慣用的に見られる音楽語法や、演奏者のスタイルによって醸しだされるものです。
異なるギタリストによって演奏されれば、同じ曲の同じ部分さえ非常に異なる種類のアイレを伝えることになります。
それはフラメンコが持っている生命力・生気が多彩である事による、表現の可能性が豊かであることを意味するでしょう。
アイレはフラメンコに、もっとも大切な『フラメンコ的なるもの』を吹き込む、特別なものと言えます。
フラメンコがコンパスを正確に守ることを求めるのは、アイレがコンパスの生命力から導かれる物であるからです。
けれどもコンパスのみでアイレは生まれるのではありません。
背筋を何かが走るほどに、音楽に感情を込めること、それも激情を込めることによって、アイレは生み出されるのです。
カンテ・ホンドまたはカンテ・グランデ(深い意味を含む唄、壮大な世界を唄う唄)が紡ぎ出す、それらの意味深いトーケは深刻にして、しばしば悲劇的ですらあります。
感情が特に激しいとき、ギターは『暗い不幸を生む』とすら思われもします。
対照的に、カンテ・チコ(いわゆる小さい唄)のアイレでは、感覚はより陽気で、派手で高揚した気分をもたらします。音楽の波がより外向的で、幸福感に充ちています。
単にトーケの形式ばかりが「ホンド」であるか「チコ」と見なすかを決定するものではありません。たしかにトーケの区別は明らかです。たとえばシギリーヤスは、あきらかにホンドです。けれどもこの両者の区別は、演奏する精神と、表現の方法による場合もあるのです。たとえばマラゲーニャも、感動的な「ホンド」なものとなりうるのです。軽快、快活な「チコ」ともなりうるように。
ジプシー的なアイレには、非情さと情熱とが渦巻いています。それはコンパスのビートを守りながら唐突とも思われるスタートと停止、衝動的な加速、また不協和音を含む東洋的な響きからもたらされるものです。
フラメンコの核の一つとも言えるアンダルシアのフォークソングは、これに比してより開放的であり、屈託がない、流れるような旋律です。
ジプシー的なアイレ、それがどこからもたらされたものであるかは、明らかにされてはいません。
演奏者の人間性、音楽語法によって、その演奏のアイレから、直ちにフラメンコの偉大な奏者を認識できます。アイレこそがフラメンコの特徴であり、本質なのです。故ニーニョリカルドのように卓越した演奏者のアイレは、言いがたく定義もできない、それでいて紛れもなく具体的な雰囲気であり、『存在』そのものなのです。
フラメンコのアイレの修得。
フラメンコにさまざまなアイレを感じ取ることと、ギターでそれらを表現することは、演奏者の能力によります。その能力は、録音や生の演奏に接してフラメンコの世界に演奏者が自身を深く没入させることによって、進歩、成長するものです。
フラメンコ、とくにカンテが導くインスピレーションと深く関わり、そして深い愛をはぐくむことです。
コンサートギタリストの妙技を目の当たりにすれば、フラメンコには刺激的な響きをもたらす並はずれたテクニックと、早弾きが必要であると考えがちです。
けれどもその考えは大きなまちがいです。のみならずそうした考えはフラメンコの音楽性を殺し、多くの有望な演奏者を誤らせた考えでもあります。
感じるところがほとんど無いままに、急速に多くの音符を演奏することには音楽の意味が全くありません。
抑揚を持ってよく唄いながらコンパスを安定させることにつとめるならば、最初から正しく本当のフラメンコを演奏することができます。
最初はゆっくりと始めなければなりません。しかしそうすることで、まがい物ではないフラメンコの演奏を実現することができるのです。
テクノラティプロフィール
アイレとは、文字通りそもそもは『空気』の意ですが、『雰囲気』そして『態度やふるまい』と言った意味を含む言葉であり、フラメンコについて話されるときに、しばしば聞く言葉です。
アイレはトーケの形式とテンポによってだけでなく、その演奏者に慣用的に見られる音楽語法や、演奏者のスタイルによって醸しだされるものです。
異なるギタリストによって演奏されれば、同じ曲の同じ部分さえ非常に異なる種類のアイレを伝えることになります。
それはフラメンコが持っている生命力・生気が多彩である事による、表現の可能性が豊かであることを意味するでしょう。
アイレはフラメンコに、もっとも大切な『フラメンコ的なるもの』を吹き込む、特別なものと言えます。
フラメンコがコンパスを正確に守ることを求めるのは、アイレがコンパスの生命力から導かれる物であるからです。
けれどもコンパスのみでアイレは生まれるのではありません。
背筋を何かが走るほどに、音楽に感情を込めること、それも激情を込めることによって、アイレは生み出されるのです。
カンテ・ホンドまたはカンテ・グランデ(深い意味を含む唄、壮大な世界を唄う唄)が紡ぎ出す、それらの意味深いトーケは深刻にして、しばしば悲劇的ですらあります。
感情が特に激しいとき、ギターは『暗い不幸を生む』とすら思われもします。
対照的に、カンテ・チコ(いわゆる小さい唄)のアイレでは、感覚はより陽気で、派手で高揚した気分をもたらします。音楽の波がより外向的で、幸福感に充ちています。
単にトーケの形式ばかりが「ホンド」であるか「チコ」と見なすかを決定するものではありません。たしかにトーケの区別は明らかです。たとえばシギリーヤスは、あきらかにホンドです。けれどもこの両者の区別は、演奏する精神と、表現の方法による場合もあるのです。たとえばマラゲーニャも、感動的な「ホンド」なものとなりうるのです。軽快、快活な「チコ」ともなりうるように。
ジプシー的なアイレには、非情さと情熱とが渦巻いています。それはコンパスのビートを守りながら唐突とも思われるスタートと停止、衝動的な加速、また不協和音を含む東洋的な響きからもたらされるものです。
フラメンコの核の一つとも言えるアンダルシアのフォークソングは、これに比してより開放的であり、屈託がない、流れるような旋律です。
ジプシー的なアイレ、それがどこからもたらされたものであるかは、明らかにされてはいません。
演奏者の人間性、音楽語法によって、その演奏のアイレから、直ちにフラメンコの偉大な奏者を認識できます。アイレこそがフラメンコの特徴であり、本質なのです。故ニーニョリカルドのように卓越した演奏者のアイレは、言いがたく定義もできない、それでいて紛れもなく具体的な雰囲気であり、『存在』そのものなのです。
フラメンコのアイレの修得。
フラメンコにさまざまなアイレを感じ取ることと、ギターでそれらを表現することは、演奏者の能力によります。その能力は、録音や生の演奏に接してフラメンコの世界に演奏者が自身を深く没入させることによって、進歩、成長するものです。
フラメンコ、とくにカンテが導くインスピレーションと深く関わり、そして深い愛をはぐくむことです。
コンサートギタリストの妙技を目の当たりにすれば、フラメンコには刺激的な響きをもたらす並はずれたテクニックと、早弾きが必要であると考えがちです。
けれどもその考えは大きなまちがいです。のみならずそうした考えはフラメンコの音楽性を殺し、多くの有望な演奏者を誤らせた考えでもあります。
感じるところがほとんど無いままに、急速に多くの音符を演奏することには音楽の意味が全くありません。
抑揚を持ってよく唄いながらコンパスを安定させることにつとめるならば、最初から正しく本当のフラメンコを演奏することができます。
最初はゆっくりと始めなければなりません。しかしそうすることで、まがい物ではないフラメンコの演奏を実現することができるのです。
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