蚊柱【草の宿(353)】
「こいつはまずい。おじさん、窓を閉めるよ」
尋夫は窓をひょいと見上げて言いました。ランタンの光に誘われたのでしょう、蚊柱のドラム缶ほどの大きさに膨れあがったのが、みるみる近づいてきたのです。
尋夫は箸とどんぶりを板の間において、あわただしく窓を閉じました。蚊の唸りがドップラー効果のように近まるのを、ぴしゃりと遮断して、窓を覆わんばかりの蚊柱を見上げました。
「でかい蚊柱だなあ。飛び込まれたらひどい目に遭うところだったよ」
「さすがは山だ。あれだけの蚊柱に頭を突っ込みでもしようものなら、息が詰まるな。だが、蚊柱の蚊は刺しはしないのだよ」
男は呆れたように言いました。
「それは知っているけど、もしかしたらあの蚊は俺が作った池から来たのかな」
「そうかも知れないが、あの池に住んでいる主にはいい餌だ。あれだけユスリカが飛び出すんなら、イワナのやつにはな。あの池にはどれだけのイワナがいるのかな」
「それがわからないんだよ」
「なぜ?まだ作って日も浅い池じゃないか」
「それが、俺が放したのはただ一尾のイワナなんだけど、どうやらそれ以外にも魚はいるみたいだな。なにしろこの上の池糖から水を引いてしまったから、何尾かは流れ込んでいるらしいよ。時々水音がする」
「そいつはいいな。あたりがすでにつかなくなっているのもいい」
男はおもしろそうに湯呑みの中身をあおりました。蚊柱はいつの間にか窓から遠のいていったようです。
尋夫はふたたび窓により、闇の中にそれらしいものが見あたらないのを確かめてから、窓をそっと開きました。
「おや、またホタルが飛んでいったよ。ホタル見の酒とは風流だ」
男は湯呑みを手にしたまま、いざりながら窓の下により、夜空を見上げました。
「いい夜風だ。こんな夜にホタルは羽化するのか」
男は、点滅しながら揺れて飛ぶホタルを追うように、頭を窓の外に出しながら、独りごちています。
「オッ」と、男がくぐもったような声を上げました。窓から顔を出して、口元に持っていった湯呑みをそのままに、中腰に立ち上がって、身を乗り出しています。
「おいっ、あんちゃん、来てみな、すごいものがあらわれた」
男は窓の框に湯呑みを下ろして、外をむいたままで押し殺したような声で尋夫を呼びました。
テクノラティプロフィール
「こいつはまずい。おじさん、窓を閉めるよ」
尋夫は窓をひょいと見上げて言いました。ランタンの光に誘われたのでしょう、蚊柱のドラム缶ほどの大きさに膨れあがったのが、みるみる近づいてきたのです。
尋夫は箸とどんぶりを板の間において、あわただしく窓を閉じました。蚊の唸りがドップラー効果のように近まるのを、ぴしゃりと遮断して、窓を覆わんばかりの蚊柱を見上げました。
「でかい蚊柱だなあ。飛び込まれたらひどい目に遭うところだったよ」
「さすがは山だ。あれだけの蚊柱に頭を突っ込みでもしようものなら、息が詰まるな。だが、蚊柱の蚊は刺しはしないのだよ」
男は呆れたように言いました。
「それは知っているけど、もしかしたらあの蚊は俺が作った池から来たのかな」
「そうかも知れないが、あの池に住んでいる主にはいい餌だ。あれだけユスリカが飛び出すんなら、イワナのやつにはな。あの池にはどれだけのイワナがいるのかな」
「それがわからないんだよ」
「なぜ?まだ作って日も浅い池じゃないか」
「それが、俺が放したのはただ一尾のイワナなんだけど、どうやらそれ以外にも魚はいるみたいだな。なにしろこの上の池糖から水を引いてしまったから、何尾かは流れ込んでいるらしいよ。時々水音がする」
「そいつはいいな。あたりがすでにつかなくなっているのもいい」
男はおもしろそうに湯呑みの中身をあおりました。蚊柱はいつの間にか窓から遠のいていったようです。
尋夫はふたたび窓により、闇の中にそれらしいものが見あたらないのを確かめてから、窓をそっと開きました。
「おや、またホタルが飛んでいったよ。ホタル見の酒とは風流だ」
男は湯呑みを手にしたまま、いざりながら窓の下により、夜空を見上げました。
「いい夜風だ。こんな夜にホタルは羽化するのか」
男は、点滅しながら揺れて飛ぶホタルを追うように、頭を窓の外に出しながら、独りごちています。
「オッ」と、男がくぐもったような声を上げました。窓から顔を出して、口元に持っていった湯呑みをそのままに、中腰に立ち上がって、身を乗り出しています。
「おいっ、あんちゃん、来てみな、すごいものがあらわれた」
男は窓の框に湯呑みを下ろして、外をむいたままで押し殺したような声で尋夫を呼びました。
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