西瓜(8)
勝手口の方が、騒々しくなつた。
某は、ぼんやりとしたままに、すわり込んで音の方を眺めてゐた。
「甥子さんを連れて行きます」と、警官が言つた。
「えつ、甥はまだこの家にゐたんですか」
某は、はじかれたやうに立ち上がり、廊下を走つて勝手口を覗き込んだ。
今しも、浴衣姿の男が、警官に取り囲まれて、車に入り込まうとしてゐるところだつた。
「待つてください」と、某は声をかけた。
周囲の警官と一緒に、浴衣の男も振り返つた。
その男の顔に、某は息を喫んだ。
凝視した。
真青な顔だつた。
深い眼窩、骨ばつた頬。
薄い唇。
さうして前髪が乱れて、額から顎にばさりとかぶさつてゐた。
「君だ」と、某は喘ぐやうに叫んだ。
「君は知つてゐるだらう、俺を知つてゐるだらう」
浴衣の男は、胡散臭さうな顔で某を見た。
「会つたぢやないか。俺に会つた。忘れたのか。俺を見てゐたらう。畑の垣根の上からだ。それから街灯のそばで」
「俺は、あんたなんか知らねえよ」
興奮して叫ぶ某を、痩せこけた男は、冷やかに眺めて言ひ、自分からさつさと車に乗り込まうとし、チラリと某に振り向いて、人さし指を、その乱れた髪の上でクルクルと回した。
某は呆然と見てゐた。
数日が、過ぎた。
某は縁側に立つて、細君が洗濯物を干すのを眺めてゐた。
「おいおい、そのハンカチはどうした」
「どうしたつて。このハンカチですか。これ、あなたのじやありませんか。紺の縁取りのあるやつ」
「俺はそれを、失くしたと思つてゐたんだが」
「だつて夕べ、これを洗濯籃に入れたのは、あなたでせう」
「俺は知らないよ」
「さうですか」
「ところで、そのハンカチに、ちらちら赤いものが染みついてゐるやうだが、どうしたのかね」
「これ、ああ、これはね」と、細君は微笑み、
「私、行儀の悪いことをしてたものだから。
あのね、西瓜を一切れ噛りながら、洗濯を始めたのよ。
どうも西瓜の雫がしたたつて、このハンカチについてしまつたらしいの。
洗つても少しも落ちないのよ。ごめんなさいね。
・・・あら、でも変よ、あの西瓜は、確かクリイム色の果肉だつたはずなのに」
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勝手口の方が、騒々しくなつた。
某は、ぼんやりとしたままに、すわり込んで音の方を眺めてゐた。
「甥子さんを連れて行きます」と、警官が言つた。
「えつ、甥はまだこの家にゐたんですか」
某は、はじかれたやうに立ち上がり、廊下を走つて勝手口を覗き込んだ。
今しも、浴衣姿の男が、警官に取り囲まれて、車に入り込まうとしてゐるところだつた。
「待つてください」と、某は声をかけた。
周囲の警官と一緒に、浴衣の男も振り返つた。
その男の顔に、某は息を喫んだ。
凝視した。
真青な顔だつた。
深い眼窩、骨ばつた頬。
薄い唇。
さうして前髪が乱れて、額から顎にばさりとかぶさつてゐた。
「君だ」と、某は喘ぐやうに叫んだ。
「君は知つてゐるだらう、俺を知つてゐるだらう」
浴衣の男は、胡散臭さうな顔で某を見た。
「会つたぢやないか。俺に会つた。忘れたのか。俺を見てゐたらう。畑の垣根の上からだ。それから街灯のそばで」
「俺は、あんたなんか知らねえよ」
興奮して叫ぶ某を、痩せこけた男は、冷やかに眺めて言ひ、自分からさつさと車に乗り込まうとし、チラリと某に振り向いて、人さし指を、その乱れた髪の上でクルクルと回した。
某は呆然と見てゐた。
数日が、過ぎた。
某は縁側に立つて、細君が洗濯物を干すのを眺めてゐた。
「おいおい、そのハンカチはどうした」
「どうしたつて。このハンカチですか。これ、あなたのじやありませんか。紺の縁取りのあるやつ」
「俺はそれを、失くしたと思つてゐたんだが」
「だつて夕べ、これを洗濯籃に入れたのは、あなたでせう」
「俺は知らないよ」
「さうですか」
「ところで、そのハンカチに、ちらちら赤いものが染みついてゐるやうだが、どうしたのかね」
「これ、ああ、これはね」と、細君は微笑み、
「私、行儀の悪いことをしてたものだから。
あのね、西瓜を一切れ噛りながら、洗濯を始めたのよ。
どうも西瓜の雫がしたたつて、このハンカチについてしまつたらしいの。
洗つても少しも落ちないのよ。ごめんなさいね。
・・・あら、でも変よ、あの西瓜は、確かクリイム色の果肉だつたはずなのに」
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