そもそもは夜更けに【西瓜(1)】

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西瓜(1)
 さる夜更けの出来事。

 朝から、しとしとと降り続けてゐた雨は、宵の口にやうやく止んだものの、その時刻になつても、蒸し暑さは変はらなかつた。

 町中を巡る通りは、舗装され、わづかの草むらも無いのに、それでも家の軒下や壁の間から、虫の声が響いてゐた。

 日がな一日の降りで、乾ききつた昨日までの町が、じめじめと湿り、ためにかへつて虫たちは活気づいたものだらうか。

 螽斯や蟋蟀や鉦叩が、路面や家並に反響するほどに、姦しく鳴き交わしてゐた。

 町は寝静まり、道行く人の影はなく、車も通らず、野良犬一匹さへも見えなかつた。

 ただ虫たちの饗宴一色の真夜中の町だつた。

 午前一時をいささか回つた頃。

 今まで、漆黒に夜の空を塗りこめてゐた、厚い雲に亀裂が走り、濃紺の夜空の地肌がのぞいて、心なしか虫の鳴き声に、一段と峻烈さが加はつたやうでもあつた。

 郵便局の煉瓦造りの赤壁が、闇の中に黒い重たいマッスで延びてゐる。

 通りはその赤壁と雨戸を閉じた畳屋の建物にはさまれ、そこで三叉路に分かれてゐる。

 右側を入れば平屋造りの貸し住宅の軒並が続き、左側を入れば畑中の道になる。

 かそかな音が、その三叉路の左側、畑の中からしのび出てゐる。

 それは風の流れる音にも聞こえたが、布地を互ひに擦り合わせる音のやうにも、おぼめいて聞こえた。


 某は三叉路まで来たところで、尻のポケットからハンカチを取りだし、顔面に吹出物のやうにふきだした汗を拭つた。

 白シャツの半袖から延びた両腕にも、汗は粒をこそ結ばなかつたものの、吹き出しており、それも丁寧に拭ひ取つた。

 汗は水油のやうにねとりと肌にぬめるのだつた。

 某は軽い頭痛を覚えてゐた。

 彼は、だいぶん酒を飲んでゐたのだつたが、なにせ通常ならば、とうに寝所についてゐる時刻に、最終列車に揺られ、さうして駅から更にある、道のりを歩いて来たところであつたから、酔ひ心地の快さは、とうに失はれてゐたのである。

 先刻まで、頭の中に真綿を詰め込まれたやうに、しびれてゐたのだが、今は鈍痛が波のやうに間断をもつて、頭頂から首筋を叩くのだつた

 某は、知人の病気の全快祝ひの宴に呼ばれ、その帰り途中なのであつた。

 その知人は、根つからの酒好きで、入院中は、かたく酒を断たれてゐたため、許可が下りるや否や、友人を集めて、今までの欝憤を晴らさうといふ、祝宴を開いたのである。

 最も親しい友人である某が、最後までつき合わされ、たらふく飲まされ、帰途がこの時刻になつたのである。

 友人は、一夜を飲み明かさうと誘つたのだつたが、某はそれだけは、やうやくの思ひで断り、最終列車に乗つたのである。
                   (続く)
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