草の宿(274)
「さて、こんな昔話をしていても仕方がない。そうだ、思い出したついでだもの、今日はあの子の小屋のあったあたりにでも行ってみるか」
おばさんは不意に立ち上がって、ピシピシとモンペの尻を叩きました。
「尋夫、いつまで弁当箱を抱えてぼんやりしてるんだ。若い者が、昼飯で頭をぼんやりさせたら牛になるぞ」
尋夫はあわてて、空になった弁当箱を風呂敷に包み込みました。おばさんはどうやら、ランプでも吹き消すように思い出を消したらしいのです。
もう少し、この山から去っていった女の子とその父親について聞きたい気がしましたが、おばさんにはもうその気はない様子でした。
まるで音楽の転調ののような気持ちの切り替わり方です。どこをどうすれば、そのように気分を入れ替えられるだろうと、時として尋夫はレコードの演奏の冷淡ぶりには、取り残されるような侘びしい気がするのでしたが、この時のおばさんの変わり身には安堵しました。
「裏の背戸やに
チョイト 柿植えて 柿植えて
烏の来る様に チョイト 柿植えて
烏とんまらかして オカカノカ
カアカア カアカアカアカア カアカアカア」
おばさんはさっさと身支度をしながら、突然歌い出しました。なんだか人を食ったような歌詞ですが、景気づけにはよい歌です。
おばさんの歌声は、朗らかではありましたが、尋夫が耳をそばだてれば、意外にもメリスマを効かせたペテネーラのようでもありました。
「おばさん、それは何の歌?」
自分がからかわれているような気配もあって、尋夫はやや憮然として聞きました。
「あっけらかんの唄だ。尋夫、お前も行ってみるかい」
おばさんはさっさとリュックを背負い込み、すでに歩き出しています。
尋夫は一瞬迷いましたが、小屋に走り込み、これは祖父がなにに使っていたのか、壁に掛かっていた、まるで煮染めたような渋茶色のずだ袋を握りしめて、おばさんの後を追いました。
追いついた尋夫をひょいと振り返って、おばさんは笑いかけました。瞬間、尋夫はおばさんの顔に、すこしだけ先刻の思い出の色が残っている気がしたのです。少し胸を突かれました。
「すごいようなずだ袋だ。お前は、妙な子だねえ。まさかそんな袋を振り回して、大学に通っているのではないだろうね。周りの人間が驚くだろう」
「・・・・おばさん、『烏とんまらかして オカカノカ』って言うのは、色唄だろう」
おばさんは向こうを向いたまま吹き出しました。
「そんな風に思ったのか。そうかもしれないよ」
「おばさん、さっきの女の子のことだけど」と、尋夫はおそるおそる聞きました。
「おばさんはこの山の山菜のある場所を一番詳しく知ってるって爺ちゃんが言ってたけど、もう何年も前のことだから、その子が教えてくれた山菜のありかなんかは、もうよほど変わってしまっているんだろう」
「いや、そんなことはないよ。キノコなんぞはそんなところもあるけれど、山菜は昔から律儀に芽を出してくれるものだよ」
「俺がついて行っていいのかい。秘密の場所だろ」
「あたしはそんなに了見が狭くはないよ。山のものは山の神様のもんだろう」
カッコウと山鳩の掛け合いは続いています。
テクノラティプロフィール
「さて、こんな昔話をしていても仕方がない。そうだ、思い出したついでだもの、今日はあの子の小屋のあったあたりにでも行ってみるか」
おばさんは不意に立ち上がって、ピシピシとモンペの尻を叩きました。
「尋夫、いつまで弁当箱を抱えてぼんやりしてるんだ。若い者が、昼飯で頭をぼんやりさせたら牛になるぞ」
尋夫はあわてて、空になった弁当箱を風呂敷に包み込みました。おばさんはどうやら、ランプでも吹き消すように思い出を消したらしいのです。
もう少し、この山から去っていった女の子とその父親について聞きたい気がしましたが、おばさんにはもうその気はない様子でした。
まるで音楽の転調ののような気持ちの切り替わり方です。どこをどうすれば、そのように気分を入れ替えられるだろうと、時として尋夫はレコードの演奏の冷淡ぶりには、取り残されるような侘びしい気がするのでしたが、この時のおばさんの変わり身には安堵しました。
「裏の背戸やに
チョイト 柿植えて 柿植えて
烏の来る様に チョイト 柿植えて
烏とんまらかして オカカノカ
カアカア カアカアカアカア カアカアカア」
おばさんはさっさと身支度をしながら、突然歌い出しました。なんだか人を食ったような歌詞ですが、景気づけにはよい歌です。
おばさんの歌声は、朗らかではありましたが、尋夫が耳をそばだてれば、意外にもメリスマを効かせたペテネーラのようでもありました。
「おばさん、それは何の歌?」
自分がからかわれているような気配もあって、尋夫はやや憮然として聞きました。
「あっけらかんの唄だ。尋夫、お前も行ってみるかい」
おばさんはさっさとリュックを背負い込み、すでに歩き出しています。
尋夫は一瞬迷いましたが、小屋に走り込み、これは祖父がなにに使っていたのか、壁に掛かっていた、まるで煮染めたような渋茶色のずだ袋を握りしめて、おばさんの後を追いました。
追いついた尋夫をひょいと振り返って、おばさんは笑いかけました。瞬間、尋夫はおばさんの顔に、すこしだけ先刻の思い出の色が残っている気がしたのです。少し胸を突かれました。
「すごいようなずだ袋だ。お前は、妙な子だねえ。まさかそんな袋を振り回して、大学に通っているのではないだろうね。周りの人間が驚くだろう」
「・・・・おばさん、『烏とんまらかして オカカノカ』って言うのは、色唄だろう」
おばさんは向こうを向いたまま吹き出しました。
「そんな風に思ったのか。そうかもしれないよ」
「おばさん、さっきの女の子のことだけど」と、尋夫はおそるおそる聞きました。
「おばさんはこの山の山菜のある場所を一番詳しく知ってるって爺ちゃんが言ってたけど、もう何年も前のことだから、その子が教えてくれた山菜のありかなんかは、もうよほど変わってしまっているんだろう」
「いや、そんなことはないよ。キノコなんぞはそんなところもあるけれど、山菜は昔から律儀に芽を出してくれるものだよ」
「俺がついて行っていいのかい。秘密の場所だろ」
「あたしはそんなに了見が狭くはないよ。山のものは山の神様のもんだろう」
カッコウと山鳩の掛け合いは続いています。
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