母の涙【叫び沢(7)】

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母の涙

 生まれて初めて私は母親にうらみの呟きを突きつけました。

 母親は泣きました。

 膝を抱へるやうにしやがみ込み、たつた今自分が耕した初夏の赤黒い畑土に涙を流しました。シロツメクサの濃い花の匂ひがしました。山鳩と郭公が繰り返し啼いてゐました。
 母の涙は悲しみのそれでありましたらう。
 虞に似た悲しみのそれでござゐましたらう。

 けれども私が抱いてゐたものは、憤りであつたのでござゐます。

 吐き出して心を清める事は絶対不可能な憤りに、私は唇を噛んで立ち尽くすばかりでござゐました。蹲つてゐた母が、やがて顔を挙げました。私を見上げた瞳が哀願してをりました。

 「誰にも知られてはゐないのだ。知られないかぎりお前に負担は無いのだ。知られないお前は全く自由なのだ」

 母はそのやうに呟くやうに申しました。

 私は母から目を逸らしてそれを聞いてをりました。

 知られないかぎり、私は自由に違ひありません。

 母の言葉を信じやうとしました。そして己を護るといふ決意が、ふつふつと胸底から湧いて来るのを覚へました。

 誰にも知られてはならない、私が自分を護るためにすることは、どんな事であれ赦されて然るべきだと思ひました。自然の意志が私を作つたのであるならば、私が秘密を護るためにすることどももまた自然の意思によるものであると思ひました。


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