小野のおばさん【草の宿(264)】

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草の宿(264)

 自分の名前を大声で呼ばれて立ちどまり、尋夫はアセビの花房の下に座り込んでいる人の顔を覗き込みました。

「おばさん、小野のおばさん」

 尋夫は思わずうわずるような声を張り上げました。叫びながら、尋夫は思いがけない印象に胸を突かれたのです。昔、里で行き会うときとは異なった服装もありましたが、久方ぶりに会う小野のおばさんは、なんだか記憶のおばさんの姿よりも、一回りも小さな人になったような気がしたのです。

 腹が減っていることも忘れて、尋夫はアセビの木の下に駆け寄りました。

「おお、尋夫だ、尋夫だ。お前、大きくなったもんだねえ。ひょいと気がついたときには、お前の爺ちゃんかと思ったほどだよ。びっくりだ。何と、もう立派な若い衆だねえ。それにしても何でまたそんな格好をしている。お前、大学に行ってるってのはほんとかい。それじゃあ、まるでカマス親父の格好ではないか。お前の爺さまならまだしも、お前、まさかその格好で大学に行っているのじゃあるまいね」

「おばさん、俺は何にも変わらないよ。今学校から帰ったとこだ。これのどこが変だ」

「こいつ、その横着な口の利き方は直ってないなあ。だからあたしはお前みたいなものを山の中にほっぽり出すのはよくないと爺様に言ってやったとこだ」

「へっ、爺ちゃんになんか言ったのかい」

 小野のおばさんは、右手に持ったアルマイト製のキセルを、ピシャリと左の手のひらに打ち付けて尋夫を睨み付けました。表情もにわかに鬼の形相です。

「こら、尋夫。お前というものがこの小屋に住むと聞いたときから、あたしは驚きもしなかったぞ。お前なら言い出しかねないことだとすぐにわかったもんだ。爺ちゃんにつぶさに聞いたがな、きちんと大学に通うから小屋に住まわしてくれと願い出たそうじゃないか。それが、そのカマス親父のようなナリはなんだ」

 ははあ、と尋夫は内心で頷きました。

『なんだか一回り縮んだように見えたけど、小野のおばさんは確かに変わっていない。俺の丈が伸びたから、おばさんが小さく見えたのだ。この、いきなり子供だった俺をどやしつけてくるところも、何にも変わってないなあ』

 小野のおばさんは、まるまると太っていて、つややかな赤ん坊のような顔色をしています。尋夫が子供の時から、少しも変わりません。
 口を開かなければ、これほどに優しい人はいるまいと思われるような顔をしているのですが、子供の頃は里の人の中で、これほどに叱責をする人もいませんでした。
 言葉の発し方にも、キリリとした力感があって、抵抗のしようが無かったのです。

「何だ、その『ははあ』というのは。お前ったら、ちょっと見ないうちに、ますます横着になったんじゃないか」

 素早く尋夫の内心を見抜いたように、小野のおばさんが言うのに、尋夫はなんだか子供のころに帰ったように知らぬうちに直立不動になっているのでした。

「俺の格好はそんなに変ではないよ。学校でも、そんなに妙な風体ではないと思うのだがなあ」

 おばさんは尋夫の答えがおかしいと見えて、口元に手を当てて、アハハハと笑いました。

 その言葉の強さと、振る舞いの不思議なアンバランスに、尋夫はふとアイコさんを思い起こすのでした。



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