枡落とし
明くる日は雨でござゐました。
未明に目覚めて、雨の音を聞いたのでござゐます。強い降りの音でござゐましたから、今朝は少しばかり余分に眠ることにゐたしました。
どこかで雨音とは別の音がしてをります。
天井裏なのか、壁の向かうなのか、たぶんその両方であつたでござゐませう。小屋のやうな私の住まひにも、鼠は幾匹も巣を作り、彼等の気配は途切れることがござゐませんでした。私は雨音と小さな獣達の仕事の音とを聞きながら、眠りに入りました。
再び目覚めた時には、部屋の中に薄明りが篭つてをりました。夜は明け、雨は止んでをりましたが、空は暗澹とした黒雲でござゐました。鼠のたてる音は聞こえませんでした。
早起きが習慣になつてゐた私は、いささかいつもより長過ぎた眠りに頭を重くし、いよいよ床が離れ難かつたのでござゐましたが、さうもしてゐられません。山ほども仕事があるのでござゐましたから。
雨が治まつたのでござゐますから、それらを捨て置く理由もござゐません。それに結局は仕事をしたはうが気持ち穩やかに一日を送れることを知つてをりましたし、私は心のうちに掛声をかけて起き出したのでござゐました。
薄靄が部落を包んでをりました。いつもの仕事着が湿気ですこしばかり堅く、重たい気がゐたしましたが、冷えた朝の空気に胸の中をさつぱりさせて道を急ぎました。バケツと鍬を持ち、あの段々畑の坂道をまた上りました。
こうした道すがらにも、草叢の中で小さな生き物の動く音が聞こえてまゐります。それは例へば野鳥が草の中でたてるのとは異なつた、小さいながらも四足の地を走るに馴れた物のたてる草ずれの音なのでござゐました。
私はこれからその音を発してゐる小さな獣達を、うまくいけば大量に殺せる仕掛を作りに坂道を上つて行くのでござゐます。
私の気配は向かふではどんなに感じてゐるのか、ふとそんなことを考へたりするのでござゐました。
ああして草の中で餌を捜してゐるものやら、巣作りをしてゐるものやら、あるひは伴侶を追つてゐるものやらして、あれたちなりにあたりまへの暮らしを送つてゐるところを、私の作る仕掛に落ち込むことなどあるのだらうか、とも思ひました。本当に私はあの音と気配に、もう馴れはじめてゐたのでござゐます。
私の仕掛の枡落としのブリキ罐は、作日のまま畑の一偶に積み上げられてありました。私は持つてきた鍬で、その仕掛を埋める穴を堀り始めました。
けれども穴を堀るのに、鍬では丸で仕事にならないのでござゐました。
やつと一つを堀り上げ、ブリキ罐を埋め終へると、体中が汗ばむのを覚へました。スコップがあればどんなに楽だらうかと考へました。
私はスコップを持つてゐなかつたのでござゐます。貧乏百姓にすらなつてゐないやうな仕方の無いものでござゐます。私が持つてゐた農具と申しましたら、その時に使つてゐた四角い歯の鍬と、雑草を刈り取るための小振の鎌と、それぎりだつたのでござゐます。
やつぱりどこぞの家でスコップを借りてくれば良かつたと考へ始めたりゐたしましたが、これから小山を下りて行くのも億劫で、再び扱ひにくい道具での穴堀りに四苦八苦いたしました。
全部のブリキ罐を埋め終へるには、最初に思つてもゐなかつたほどの時間がかかりました。やうやく終へた時には、心の底から安堵ゐたしたのでござゐます。埋めたばかりのブリキ罐の一つ一つの蓋に、干魚の切れ端を綿糸で結はへつけ、それで仕事は一段落がつきました。
(続く)
テクノラティプロフィール
明くる日は雨でござゐました。
未明に目覚めて、雨の音を聞いたのでござゐます。強い降りの音でござゐましたから、今朝は少しばかり余分に眠ることにゐたしました。
どこかで雨音とは別の音がしてをります。
天井裏なのか、壁の向かうなのか、たぶんその両方であつたでござゐませう。小屋のやうな私の住まひにも、鼠は幾匹も巣を作り、彼等の気配は途切れることがござゐませんでした。私は雨音と小さな獣達の仕事の音とを聞きながら、眠りに入りました。
再び目覚めた時には、部屋の中に薄明りが篭つてをりました。夜は明け、雨は止んでをりましたが、空は暗澹とした黒雲でござゐました。鼠のたてる音は聞こえませんでした。
早起きが習慣になつてゐた私は、いささかいつもより長過ぎた眠りに頭を重くし、いよいよ床が離れ難かつたのでござゐましたが、さうもしてゐられません。山ほども仕事があるのでござゐましたから。
雨が治まつたのでござゐますから、それらを捨て置く理由もござゐません。それに結局は仕事をしたはうが気持ち穩やかに一日を送れることを知つてをりましたし、私は心のうちに掛声をかけて起き出したのでござゐました。
薄靄が部落を包んでをりました。いつもの仕事着が湿気ですこしばかり堅く、重たい気がゐたしましたが、冷えた朝の空気に胸の中をさつぱりさせて道を急ぎました。バケツと鍬を持ち、あの段々畑の坂道をまた上りました。
こうした道すがらにも、草叢の中で小さな生き物の動く音が聞こえてまゐります。それは例へば野鳥が草の中でたてるのとは異なつた、小さいながらも四足の地を走るに馴れた物のたてる草ずれの音なのでござゐました。
私はこれからその音を発してゐる小さな獣達を、うまくいけば大量に殺せる仕掛を作りに坂道を上つて行くのでござゐます。
私の気配は向かふではどんなに感じてゐるのか、ふとそんなことを考へたりするのでござゐました。
ああして草の中で餌を捜してゐるものやら、巣作りをしてゐるものやら、あるひは伴侶を追つてゐるものやらして、あれたちなりにあたりまへの暮らしを送つてゐるところを、私の作る仕掛に落ち込むことなどあるのだらうか、とも思ひました。本当に私はあの音と気配に、もう馴れはじめてゐたのでござゐます。
私の仕掛の枡落としのブリキ罐は、作日のまま畑の一偶に積み上げられてありました。私は持つてきた鍬で、その仕掛を埋める穴を堀り始めました。
けれども穴を堀るのに、鍬では丸で仕事にならないのでござゐました。
やつと一つを堀り上げ、ブリキ罐を埋め終へると、体中が汗ばむのを覚へました。スコップがあればどんなに楽だらうかと考へました。
私はスコップを持つてゐなかつたのでござゐます。貧乏百姓にすらなつてゐないやうな仕方の無いものでござゐます。私が持つてゐた農具と申しましたら、その時に使つてゐた四角い歯の鍬と、雑草を刈り取るための小振の鎌と、それぎりだつたのでござゐます。
やつぱりどこぞの家でスコップを借りてくれば良かつたと考へ始めたりゐたしましたが、これから小山を下りて行くのも億劫で、再び扱ひにくい道具での穴堀りに四苦八苦いたしました。
全部のブリキ罐を埋め終へるには、最初に思つてもゐなかつたほどの時間がかかりました。やうやく終へた時には、心の底から安堵ゐたしたのでござゐます。埋めたばかりのブリキ罐の一つ一つの蓋に、干魚の切れ端を綿糸で結はへつけ、それで仕事は一段落がつきました。
(続く)
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