酔夢【勉強堂から夢やへの界隈(2)】

ここでは、 酔夢【勉強堂から夢やへの界隈(2)】 に関する情報を紹介しています。
勉強堂から夢やへの界隈
        (2)
 酒を飲むことは、どうして通りから通りへと歩き続けることになるのだろう。

 『夢や』に行って、「妙子さん」を確認することになった。この店には、前に一度、来たことがあったのだ。
 間をおいていったのだが、おかみは俺を覚えていた。
 ビールを一本飲み終えようとしたときに、おかみはカウンターの端に座っていた客を、手の平を上にして開いて指し、
「妙子さんに、ごあいさつは?」と、言った。

 俺は、最初、「妙子さん」が、何者であるかわからなかった。
 酔っぱらっていると、思いがけないことをする。
 あとでつまびらかに聞き、黒い気分になりもする。しかし自分に関することは聞かなければすまない。

 『夢や』で、俺は、妙子さんを、くどいたのだそうだ。こういうことは今までにも何度かあって、その本人に素面で対面すると、人に聞く俺のその時というのは、嘘だろうとしか思えない時がしばしばあった。

 なんでこの人にカラめたのだろう、と、いった人に、勿論、先方に越度は無いのだが、俺は心中いぶかしがりながら、軽くワビるのが、しばしばだった。「軽く」というのは、やっぱり、心中、本当だろうか、と、疑っているからで、俺の内面に属する。あらわしたところは、言うまでもなくまじめにワビる。

 妙子さんは、すでに酔っていて、フニャリとしている。
 その酔いは、薄く、レースを、かむったようなものだろう。だから、フニャリとしているのは、「酔い」とは、関係が無いかもしれない。トンボメガネのような、「異」な感のする、大きめのメガネをかけている。

 妙子さんを眺めていると、フニャフニャした表情や、ヘラヘラした笑いかたや、上体を揺らせ続けるところが、植物に似ている。その時の俺は、正しく酔ったのだ。

 『夢や』は、飛行場とはまったく逆の方向にあるのだが、空路の真下にあたっているのだろう、突然、頭上から、震動そのもののような轟きがして薄暗い照明の店の内部が、皺をつくってヨジれるように見える瞬間がある。

 三角形の黄色いカウンターや、葡萄色の壁、それにガラス棚が、胃壁のような皺をつくる。酔った目には、大いなる胃の中にいる気になる。

 妙子さんは、トンボメガネの下から、指を入れて、瞼をこすった。

「ねえ、おはん、おはん、まだ、私を誘ってみたい?」

 妙子さんは、体をねじって、言う。
 カウンターに、はすむかいに、向き合ってみると、薄いと思われた、妙子さんを包んでいるものが、薄いのか、濃いのか、わからなくなった。俺は。相手を、まねしたわけではないが、ヘラヘラと、笑った。

「男は、信用でけんわ。酔っぱらうと、男は、信用でくうやつと、信用でけんやつとが、はっきい、すうわね。で、99.99パーセントは信用、でけんわ。0.000..」

 小数点、何位以下かの数を、ムニャムニャと妙子さんは言いかけてやめ、それからグラスを少しなめて続けた。

「・・・パーセントの、男は、信用でくうかもしれん。ばってん、それは、ただの、ほんのこての、酔っぱらいなとなぁ。男だって、自分でそう思うでしょ。おはん、自分で判定なさい。あんクドキを、再現すう勇気あう?」

「ありまんがな」、と、俺は自分のヘラヘラ笑いを、今はハッキリ卑屈に思いつつ、しかし胸躍るところを感じつつ、言った。

 俺はできるだけ速やかに、妙子さんと同じほどな深みまで酔うことに決めた。
 しかし、酔ったからといって、この俺に善人になる自信は、丸でなかったのだが。

「おはんも、はやかとこ、酔っぱらってしまいなさい。妙子さあは、ああ言うけどね、そや、妙子さあの、はなしで、おはんな、ひたすら酔ってくれれば、それで、よかとな。」

 おかみは、俺の方針を読んだように言って、俺が飲みほしたビールのアキビンを、カウンターから片づけた。そうして、ガラス棚から、灰色の瓶をとりだした。
 それは、こぶりの瓢箪のような、腰にくびれのあるビンだった。俺はその瓶に見覚えがあったが、なんという酒であるかは思い出せなかった。

 俺の目の前に置いた、新しいグラスに、おかみは気前よく、グラスのヘリと水平になるまでに、その酒をついだ。芳香がした。思わず深く息を吸った。見れば、おかみも半眼を、とじて、息を吸い込んでいる。

 その匂いにも、覚えはあった。しかし、すぐには、何の匂いであるかは、言うことができなかった。その記憶は、そんなに最近のものではない。きっと、なにかの花の香だろう。

「おはん、酔っぱらうと、ずいぶん気前が良くなうね。こん、お酒のせいかしら」と、おかみが言った。

 俺は前に来たときにも、この酒を飲んだらしい。
 そして、ゾウキンのように、グタグタに酔って、釣銭を受けとらずに、帰ったか、したのだろう。しかし、なんだか、この芳香の記憶は、それよりも、もっと昔のそれのような気がするのだが。俺は、かすかに藍色をした、グラスの液体を見つめた。

 妙子さんが、ゆっくりと頭を左右に振って、何かをさがすような、素振りをした。
その時、なんだか、その芳香が、妙子さんから、かもし出されたような気がした。
「よか、においね。こん、におい。昔に見た、夢んごとねえ。どうしてかしら、急に、おだまきの、匂いがするのよ」

 その妙子さんの声で、俺にもその匂いの記憶が、奈辺にあったものか、思い起こすことができた。確かにそれは、みやまおだまきの花の匂いに似ていた。

「これは花じゃないわ、こちらのお酒なの」

 おかみは、瓢箪のような、灰色の瓶を、顔のあたりまで持ち上げて、妙子さんに見せた。その瓶には、ラベルらしきものは見あたらない。この前に来たおりに、どうしてこの酒を飲むことになったのか、俺にはわからなかった。

 その酒を、口にふくむと、かき消すように、匂いは消えた。暗い部屋から、急に日盛りの、ただ中に出たときのように、軽い、目まいがした。飲みこんだ、酒の中に、自分がいた。
 喉は、暗くて細い、そして、長い長い、漏斗になって、俺は、自分がその底に向けて、流れ落ちるのを覚えた。
 漏斗の先は、地の底で、弧を描いて、天を向いていたようだ。俺は、流れ落ちた先で、フワリと体が浮いて、正気に戻った。

「子どもの時に、この花の下で、眠ったことがあります」

 妙子さんは、上体を揺らせながら、顔を、天井に向けた。芳香が、上から降り注ぐように、感じられるのだろう。

「いっぱい、どうですか」と、俺は、聞いた。
「ありがと、いいの?では、少しだけ、そのグラスのを、ここに」

 妙子さんは、右手を、俺のほうに、さし出した。俺は、とまどったが、妙子さんの手の平の上で、グラスをかたむけた。薄い、藍色の液体は、妙子さんのまるめた手のひらにしたたり、照明のひとつが、映り込んで、蛍のように揺れた。

 妙子さんは、右手のしづくを、香水を、そうするように、胸の上にふりかけた。それからその胸を抱くようにして、カウンターに、肘をついた。

 俺は、できるだけ速やかに、妙子さんと同じほどな、深みまで、酔うことに、再び決めた。そして、その一口の酒精がもたらした、めまいのような、揺れる幻燈の絵の中に運び込まれるような感じから察して、手の中のグラスだけで、その深さに行きつけそうな気がした。

「ねえ、ママ、このかた、あたしのこと、ご存じ?」

 おかみは、首を、横に、ふった。そして、こう言った。

「こん、お客さあわ、気前がよか人ど。ばってん、もうすぐ寝もす」

・・・・ああ、本当に、よか、匂いがした。

 不意に、ロルカの、リフレインが、耳元で、囁かれた気がして、俺は飛びあがる。

 『朝の、五時、朝の、五時、朝の、きっかり、五時』・・・・・・

 カーテンを引くと、窓に、巨大な、白い、花のような、朝の光。

◆「現代ギター」誌の定期購読。

テクノラティプロフィール
アクセスアップ・SEO対策・検索エンジン登録
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://houshakuki.blog36.fc2.com/tb.php/5-d1f119f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
SEO対策:フラメンコ SEO対策:ギター SEO対策:小説 SEO対策:方言