半紙の束【草の宿(214)】

ここでは、 半紙の束【草の宿(214)】 に関する情報を紹介しています。
草の宿(214)

 楽譜の中に、こよりで綴じられた半紙の束がありました。

 これも見覚えがあります。
 祖母が書き写した「北越雪譜」です。

 電灯の下で、祖父と祖母が互いに背中合わせの格好で、それぞれちゃぶ台と机に向かっている情景を鮮やかに思い出しました。

 祖父はあぐらをかいてちゃぶ台です。猫背になってGペンで書いています。
 祖母はきっちりと正座して机に向かっています。背筋をぴんと立て、細い筆の軸の、少年から見れば不自然なほどに上の方を持って、軽快に書いています。

 その対比のおかしさが、まず尋夫の子供の頃の記憶に刻まれたのでしょう。

 祖母の机ににじり寄って聞きます。

「ばあちゃん、またハンニャシンギョウ書いてるの?」

 すると祖母は、そうだと答えるときもあり、そうではないと答えるときもありました。
「これをごらん。尋夫の本をちょっと借りたよ」

 見れば、なんと半紙に写し取られているのは、尋夫の本棚から抜き取られた子供の本の中身だったりするのでした。

「あっ、これは小川未明だ」

 祖母は小川未明の作品が好きらしくて、時々ハンニャシンギョウではなく、書いたものを尋夫に見せてくれるのでした。

 子供の時から、尋夫は祖母の字が好きでした。太い筆で書いたものは、子供心に、習字の手本よりも上手なのではないかと思うこともありました。
 けれども祖母は太い筆を握ることは滅多になく、いつも朱色の軸の細い筆で、一心に何かを写し書いているのでした。

「どうだい、読めるかい」

「全部読める」

「おや、変体仮名を使ったのに読めるのかい」

「読めるよ、だって、おれはこの本の中身を知ってるもの」

「なんだ、想像で読みやがったな」

「ばあちゃんは字がじょうずだねえ」

「なんと、ばあちゃんは上手ではないのだよ。上手というのは、こういうのを言うのだ」
 祖母はそう言い、実にじつに古めかしい本を引っ張り出して尋夫に見せるのでした。

「これを見てみなさい。これがほんとに上手な人の字だ」

 けれども、尋夫には、目の前に広げられた、拓本のように真っ黒な背景の中に浮かぶ文字は、上手ではあるけれど、祖母の字の方が好きなのでした。

「おれは、ばあちゃんの字の方が上手だと思う」

 尋夫が答えると、背後で書き物をしていた祖父が、突然、爆笑するのでした。

 その祖父の爆笑の意味がわからず、少年は小さな苛立ちと、祖父に対して敵意を感じたことを、今も鮮やかに思い起こすことができます。

 祖母が見せてくれた文字が、誰のものであったか。おそらくは顔真卿とか良寛とかのものであったのでしょう。



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