写譜【草の宿(213)】

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草の宿(213)

 すいた小腹を蕎麦がきで満たして、尋夫は囲炉裡のそばの引き出しを開けてみました。
 黒カーリットと書かれた木箱を積み重ねた傍に、その引き出しはあります。その引き出しの横腹にも黒カーリットとかかれていますから、この引き出しは積み重ねている箱と同じものを、祖父が引き出しに作り上げたのでしょう。

 何しろ分厚い樫でできた、いかにも祖父が好みそうな木肌の箱です。おそらくは、どこかで発破を仕掛けた際に使ったダイナマイトが入っていたのでしょう。

 昔から尋夫は、この太々と書かれた「黒カーリット」の文字を見るたびに、何ともうらやましい気持ちになるのでした。その箱をひとつ自分のものにしてみたかったのです。

 引き出しは二段になっていて、下の段は小刀やらヤスリなど、祖父がノコギリの目立てや囲炉裏端でセヒージャを削るための道具箱になっています。

 上の段には、渋茶色の信玄袋が入っています。
 尋夫はそっとそれを取り出しました。

 信玄袋には祖父が書いた写譜が納められているのです。
 ずしりと重たい袋です。

 おおかたはすでに茶色に変色した五線譜ですが、なかにはまだ真新しいものも入っていました。

 写譜ペンを使って、走り書きのようなものもあれば、Gペンで音符の黒い玉を印刷物かと見まごうほどに丹念に書いたものもあります。

 尋夫は一枚一枚を、丹念に眺めていきました。

 すべてがギター譜なので、見当がつくものも幾つかあります。

『なるほど』と、尋夫は数枚を眺めて笑いました。

 Gペンで書かれたものは、バッハスカルラッティスペイン民族派ものの楽譜がほとんどで、写譜ペンで走り書きされているのはフラメンコです。

 タレガの「アルハンブラ」を、Gペンで丹念に書いたことがあったので、尋夫には祖父の気分がわかるような気がしたのです。「アルハンブラ」は、尋夫が初めて印刷譜を意識して写譜をした楽譜でもありました。

 ラスゲアドの部分を、写譜ペンを人差し指と中指の間に挟んで、たたきつけるように書いているフラメンコの楽譜。・・・これも、尋夫にも経験があることです。何故か、フラメンコの楽譜を写譜するとこうなるのです。

 不思議な気持ちです。

『これは俺が書いたのではないだろうか』

 不意にそんな思いにとらわれて、つい数日前に別れた祖父が、何とも懐しくなりました。



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