永遠のエスキース【サイレントギター日記(6)】

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サイレントギター日記(6)
  ジャーバの演奏を再度聴いたのは、先月末のことだが、今日も聴いてみて、やはり気になる。
 この演奏の持つ力は何なのか。ディスコグラフィーにはトランスと云ふ言葉が使はれてゐる。

 【トランス(英trance)催眠状態やヒステリーの場合にみられる、意識が常態でなくなった状態。外界と接触を断って深い冥想状態にはいり、特殊の喜びにひたることをいう。国語大辞典(新装版)小学館 1988.】

 ドゥエンデといふ言葉がある。ジャーバの演奏にはドゥエンデがあると、何気なく書いたが、さてドゥエンデとトランスとの相違とは何か。そこのところがわからない。

 ジャーバの最初の数曲は、あたかも定型の民族舞踊のための音楽のやうに始められる。六曲目あたりから、にはかに歌に特別の熱気がこもりはじめ、あたかもカタストロフィーに向けて、生き急ぐやうな圧倒的なものを放ちはじめる。
 今月はリハビリの始まりだと覚悟してゐた。その進行は順調であることを確認する。指頭の痛みは修まり、3,4指がたがひに干渉しないで動くと言ふことがどういふことか、はつきりと認識できるまでになつてゐる。これが順調でないわけがない。下腕の痛みも少し和らいだ。

 ところで長い間楽器を持たずにゐて、久々に手にするときにいつも感じることだが、発する音が木訥なものになる瞬間がある。

久方ぶりに楽器を手にした指は、最初、何とか、動かないことを押し隠さうとふるまひたがる。

 動かぬ指をのたうち回らせて、なめらかさを仮装するのだ。しかし数日もすると、突然指はさうした仕草を恥じはじめる。決して意識によるものではない。指が決定して音を選びはじめるのだ。

 指は曖昧さで繋がれた、なめらかさを装つた音の流れよりも、明確な音の粒を求めはじめる。

 意識はそこで指によつて覚醒させられる。たしかに明確な音を作り出すことには、曖昧な粘性体の音の流れを作ることよりもおもしろい。今のところは指にしたがふ。

 どのやうに音を作り上げるか。音を作り出すことは、聴いたことのない音を望む、内なる声に呼応する行為だ。

楽器を手に練習をすることは、音のエスキスを描き続けることだ。自分が見たことのない線を探して。
 どのやうに作り上げるか、その作業の先の作業に行き着いたことはまだない。
 つまりエスキスを離れて、はつきりと一作を作る作業に着手したことがない。
 これからが本番。

 ヘレニウムと矢車草が咲いてゐる。
 花叢はさわさわと音をたててゐる。
 紫苑が咲き、撫子が咲いてゐる。
 夏の花々の濃密な香は失せ、漂ふのは、かすかなヘレニウムのにほひばかり。



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