涛藏伝
其の一 涛藏が来た
左膝に微かながら痛みがある。これは梅雨期のいつものことだ。右膝の関接の中を、アリが巣くつたやうなモゾモゾした感触がある。これも雨がすぐ近くに来てゐるといふ証左である。
涛藏が来た。そしてしきりにボヤいてゐる。
俺のところに来る奴は、全て瀧側の息がかかつてゐると云つて間違ひは無い。涛藏もその一人で、要するにこの部屋は、夜になつても行く宛の無い奴がやつて来る場と化してゐる譯だ。
俺は誰が来ても相手にはしない。放つて置いて自分のことを黙つてやり続けてゐるので、それがかへつて気が楽な奴は来る。気詰まりな奴は二度と来ない。
時々手土産を持つて来るのがゐる。手土産を持つて来た奴を優遇してゐるのではないが、それが意味がわからぬものである際には話をする。面白いものの時にはもつと話をするといふ譯で、やはりこれは優遇の類であるかも知らん。
涛藏も珍しく手土産を持つて来た。
この男、最初から客のくせに挨拶もしなかつた。大部おかしな野郎で、突然部屋に入り込んで来て、俺ァ、瀧側の顔見知りだァと、最初に呟いたのを聞いたばかりで、後は俺の後ろでひつくり返つてゐたので、したがつて今夜までに三度ばかりやつて来たが、その人相も良く確かめてゐなかつた。
まともに対座して眺めたら、案外な顔をしてゐる。どんな具合に案外かと説明のしやうがない案外といふやつだ。
涛藏の手土産といふのはWXPで、これはもう持つてゐるからイラネエと言つたが、割に精しい仕様書つきだつたから、少し遊んだ。これがなかなか面白い。附録が面白い。こんな附録が入つてゐるとは思はなんだ。仕様書だけ貰ふことにする。
涛藏のボヤきはWXPとは関係が無かつた。
「蛮太郎を知つてゐるか」と、訊くから知らねえと言つた。
「さうか、ここには来なかつたのか」と、一人ごちてゐる。
「あの野郎、さんざん俺の食つてる弁当の中味を嗤ひものにしやがつて食通振つてゐやがつたが」と、涛藏は俺の知らない男の譚をした。
「野郎、あのゴキブリ横丁の變態惧樂部に出入りして、變態娘に脱糞させてその糞を毎晩食つてるさうだ。大した食通野郎だ」
俺はあつけにとられて涛藏を見た。
「そんな奴は知らねえ、何でまたそんな話をするんだ」
「べつに話もねえからよ」
「おまへ、何しに来たんだ」
「何もしないために来たんだ。迷惑か」
「俺はまだ晩めし前だ、そんな話は迷惑だ」
「さうか、飯の前であつたか、それはワリかつた」と、涛藏は素直にあやまつた。
何なんだ、この男は。
瀧側には大部会つてないが、変な奴とつき合ひがあるのだな。
「それはさうとこの部屋はクーラーが効き過ぎてゐる。こんなにしてよく関節が痛くならないな」
「関節は痛いよ」と、俺はびつくりして言つた。
「さうか、これはクーラーのせいだつたか。俺はまた雨が近いから神経痛が起きたのかと思つた」
「莫迦野郎」と、涛藏は言つた。・・・・・何なんだ、この男は。
「漢詩に神経痛か、何様だと思つてゐやがるんだ」と、涛藏は俺の手元を覗き込んで言つた。・・・・・!?
「漢詩を読まうがサラダ記念日を読まうがきさまの知つたことか、帰れ」と、俺もついに言つた。
「どうもおじやましました」と、言つて涛藏は帰つた。気味の悪い野郎だ。もう出入り差止めだ。
テクノラティプロフィール

其の一 涛藏が来た
左膝に微かながら痛みがある。これは梅雨期のいつものことだ。右膝の関接の中を、アリが巣くつたやうなモゾモゾした感触がある。これも雨がすぐ近くに来てゐるといふ証左である。
涛藏が来た。そしてしきりにボヤいてゐる。
俺のところに来る奴は、全て瀧側の息がかかつてゐると云つて間違ひは無い。涛藏もその一人で、要するにこの部屋は、夜になつても行く宛の無い奴がやつて来る場と化してゐる譯だ。
俺は誰が来ても相手にはしない。放つて置いて自分のことを黙つてやり続けてゐるので、それがかへつて気が楽な奴は来る。気詰まりな奴は二度と来ない。
時々手土産を持つて来るのがゐる。手土産を持つて来た奴を優遇してゐるのではないが、それが意味がわからぬものである際には話をする。面白いものの時にはもつと話をするといふ譯で、やはりこれは優遇の類であるかも知らん。
涛藏も珍しく手土産を持つて来た。
この男、最初から客のくせに挨拶もしなかつた。大部おかしな野郎で、突然部屋に入り込んで来て、俺ァ、瀧側の顔見知りだァと、最初に呟いたのを聞いたばかりで、後は俺の後ろでひつくり返つてゐたので、したがつて今夜までに三度ばかりやつて来たが、その人相も良く確かめてゐなかつた。
まともに対座して眺めたら、案外な顔をしてゐる。どんな具合に案外かと説明のしやうがない案外といふやつだ。
涛藏の手土産といふのはWXPで、これはもう持つてゐるからイラネエと言つたが、割に精しい仕様書つきだつたから、少し遊んだ。これがなかなか面白い。附録が面白い。こんな附録が入つてゐるとは思はなんだ。仕様書だけ貰ふことにする。
涛藏のボヤきはWXPとは関係が無かつた。
「蛮太郎を知つてゐるか」と、訊くから知らねえと言つた。
「さうか、ここには来なかつたのか」と、一人ごちてゐる。
「あの野郎、さんざん俺の食つてる弁当の中味を嗤ひものにしやがつて食通振つてゐやがつたが」と、涛藏は俺の知らない男の譚をした。
「野郎、あのゴキブリ横丁の變態惧樂部に出入りして、變態娘に脱糞させてその糞を毎晩食つてるさうだ。大した食通野郎だ」
俺はあつけにとられて涛藏を見た。
「そんな奴は知らねえ、何でまたそんな話をするんだ」
「べつに話もねえからよ」
「おまへ、何しに来たんだ」
「何もしないために来たんだ。迷惑か」
「俺はまだ晩めし前だ、そんな話は迷惑だ」
「さうか、飯の前であつたか、それはワリかつた」と、涛藏は素直にあやまつた。
何なんだ、この男は。
瀧側には大部会つてないが、変な奴とつき合ひがあるのだな。
「それはさうとこの部屋はクーラーが効き過ぎてゐる。こんなにしてよく関節が痛くならないな」
「関節は痛いよ」と、俺はびつくりして言つた。
「さうか、これはクーラーのせいだつたか。俺はまた雨が近いから神経痛が起きたのかと思つた」
「莫迦野郎」と、涛藏は言つた。・・・・・何なんだ、この男は。
「漢詩に神経痛か、何様だと思つてゐやがるんだ」と、涛藏は俺の手元を覗き込んで言つた。・・・・・!?
「漢詩を読まうがサラダ記念日を読まうがきさまの知つたことか、帰れ」と、俺もついに言つた。
「どうもおじやましました」と、言つて涛藏は帰つた。気味の悪い野郎だ。もう出入り差止めだ。
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