フラメンコ(13)
現代フラメンコギター(2)
クラシック・ギターの音が丸く柔かいのに対し、フラメンコのそれは堅く、衝撃的です。
荒々しい音は、フラメンコのカンタオールに典型的な、荒削りの声に良く合い、音の分離は、和音や単音の素速い連綿たる響きの、透明さと光沢を維持するのです。
低音弦の動きすらも、衝撃的な要素を引き立てます。
一世紀と四半世紀の昔から、フラメンコ・ギターの基本は、クラシック・ギターと同様、次第に小型化はしたものの、殆ど変わりませんでした。
いくらかの変型は試されたのではありましたが。19世紀の後半には、フラメンコ・ギターはシープレスよりも、楓で作られるのが普通になりました。
ビセンテ・アリアス(1840―1912)は、ことの他この型を好み、幾つかの美しい楽器を作りました。
楓はシープレスに似て、薄く加工でき、ローズウッド製のクラシック・ギターのように柔かくはない音で、音量もわずかではあるが豊かです。
楓はスペイン市民戦争までフラメンコ・ギターに使われましたが、今では愛好するものがいなくなってしまいました。
過去50年の間には、フラメンコ・ギターの部品である、伝統的な木ネジに変はって、調弦機が増えました。
これではバランスは完全とは言えませんし、ネジの付いた頭部のはうが美観上も良かったのですが、金属製の方が調弦しやすいですし、調弦を保持しやすいからです。金属の使用が音にえへる影響については、いくつかの論争があります。
木ネジを信用しているギタリストは、金属はわずかではありますが、楽器全体の震動を妨げていると信じています。しかし多くの演奏家は、調弦機つきの型に満足しています。
最も重要な最近の考案は、フラメンコの指板やゴルペ板とクラシックのローズウッドの本体や、金属の調弦機とを取り合はせた折衷的な“コンサート・フラメンコ・ギター”です。
当然フラメンコの動きと、クラシック・ギターの本体との組み合わせには、表面板の補強木と厚みに、繊細な調和が要求されます。
“コンサート・フラメンコ・ギター”の音質は、その結果として、真のフラメンコ・ギターと真のクラシック・ギターとの中間のものとなり、荒々しくもなければ甘美でもありません。
このようなギターは、ソロ・フラメンコ・ギターのコンサート演奏の専門家の要請によって生まれたのであって、彼らは伝統的な楽器に、伝統的な動きの必要性を感じ、そしてやや活発な大きな音が不足していると感じるのです。
この楽器の型は、現在スペインの若い尖鋭な演奏家、パコ・デ・ルシアやマノロ・サンルーカルに愛好されています。
フラメンコ・ギターの構造上の専門的性質は、クラシックのそれよりやや単純です。
スペインでは見習工が最初に作るギターは、伝統的なフラメンコ型です。
しかし本物のフラメンコの音を創るのは、生易しいものではありません。
注目すべきは、クラシック・ギターの最良のものの幾つかは、今や他の国の製作家によって作られますが、フラメンコ型の構造では、スペイン人が完全に傑出し続けています。
スペインでも大抵の優れた製作家が、両方の型を製作し続けていますが、フラメンコ・ギターの構造は少数のギター職人によって左右されています。
これはトーレスの時代からの伝統です。
製作家には、フラメンコの音と、精神への、ある感覚がギターを製作するために要されるようです。
過去の偉大なフラメンコ・ギター製作家は、大抵そのクラシック・ギターも同様に有名です。
初期の製作家、例えばトーレスその人、アリアス、そしてマヌエル・ラミレス(1866―1916)は、両方の型に卓越していました。
今世紀前半、あの戦争の後の驚くべきクラシック・ギターの普及より以前には、フラメンコ・ギターの収入が、スペインの製作家を支えていたのです。三人の製作家が、他を圧倒していました。
今世紀では、サントス・エルナンデス(1873―1942)が、疑ひもなく最も有名なフラメンコ・ギターの製作家です。
彼はマヌエル・ラミレスの弟子でした。ラミレスの死後、その未亡人のために数年働き、1920年代に自分の店をマドリッドに構えた。彼のアデュアナ27番地の店は、当時の筆頭の演奏家達が集まるところとなりました。
その中にはラモン・モントーヤがおり、アントニオ・チャコンがおり、そして“ギターの詩人”として知られた人々がいました。
サントスの楽器は、彼の生涯を通じて最良のフラメンコ・ギタリスト達に熱心に求められました。
今でも、彼の死後30年経ているのではありますが、彼らは情熱的に探し求めており、非常な高値をつけています。
もちろん博物館に入れるためではなく、演奏する楽器としてであります。
サントスの同時代のフラメンコ・ギター製作家の競争者に、ドミンゴ・エステソ(1882―1937)がいます。
彼はマヌエル・ラミレスのもう一人の弟子でした。
エステソのギターは、軟弱さというのとは異なる、柔かさ、甘美さのある、特別な楽器です。
外見的には、単純な、然し、深い情熱を持ったペリーコ・エル・デル・ルナールのような演奏家に向いていました。
今世紀の三番目の殆ど伝説的なフラメンコ・ギターの製作家は、マルセロ・バルベロ(1904―1955)です。
彼はその工法を、ホセ・ラミレス二世と共に学びました。
バルベロは、サントス・エルナンデスの未亡人に一時雇われていました。
彼はその時に、自分の仕事に役立つ、老匠の楽器を試奏し、修理する機会を得たのです。
バルベロは亡くなる1955年には、殆どの優れたギタリストのために、ギターを作り上げていて、たぶん今日のフラメンコ・ギター製作家の中では最も良く知られているコルドバのマヌエル・レイエスに、測り知れぬほどに貴重な忠告を残したのです。
戦争からこの方、クラシック・ギターの需要は、フラメンコのそれを完全に上回りました。
しかし少数のフラメンコ・ギター製作の専門家は残っており、職業演奏家の内で格別の名声を得ています。
マヌエル・レイエスだけが、フラメンコスタイルの方を好んでいるわけではありません。
マヌエル・レイエスはマドリッドのコンデ兄弟(叔父のドミンゴ・エステソの仕事場を後継している)にも、また若いアルメリアのジュルンディノ・フェルナンデスにも、良き競争相手とみなされています。
これらの職人達は、名人芸的に、あやまつことなき楽器を、本格派で、かつ高い水準にある、今日の優れた演奏家に供給できるでしょう。
テクノラティプロフィール

現代フラメンコギター(2)
クラシック・ギターの音が丸く柔かいのに対し、フラメンコのそれは堅く、衝撃的です。
荒々しい音は、フラメンコのカンタオールに典型的な、荒削りの声に良く合い、音の分離は、和音や単音の素速い連綿たる響きの、透明さと光沢を維持するのです。
低音弦の動きすらも、衝撃的な要素を引き立てます。
一世紀と四半世紀の昔から、フラメンコ・ギターの基本は、クラシック・ギターと同様、次第に小型化はしたものの、殆ど変わりませんでした。
いくらかの変型は試されたのではありましたが。19世紀の後半には、フラメンコ・ギターはシープレスよりも、楓で作られるのが普通になりました。
ビセンテ・アリアス(1840―1912)は、ことの他この型を好み、幾つかの美しい楽器を作りました。
楓はシープレスに似て、薄く加工でき、ローズウッド製のクラシック・ギターのように柔かくはない音で、音量もわずかではあるが豊かです。
楓はスペイン市民戦争までフラメンコ・ギターに使われましたが、今では愛好するものがいなくなってしまいました。
過去50年の間には、フラメンコ・ギターの部品である、伝統的な木ネジに変はって、調弦機が増えました。
これではバランスは完全とは言えませんし、ネジの付いた頭部のはうが美観上も良かったのですが、金属製の方が調弦しやすいですし、調弦を保持しやすいからです。金属の使用が音にえへる影響については、いくつかの論争があります。
木ネジを信用しているギタリストは、金属はわずかではありますが、楽器全体の震動を妨げていると信じています。しかし多くの演奏家は、調弦機つきの型に満足しています。
最も重要な最近の考案は、フラメンコの指板やゴルペ板とクラシックのローズウッドの本体や、金属の調弦機とを取り合はせた折衷的な“コンサート・フラメンコ・ギター”です。
当然フラメンコの動きと、クラシック・ギターの本体との組み合わせには、表面板の補強木と厚みに、繊細な調和が要求されます。
“コンサート・フラメンコ・ギター”の音質は、その結果として、真のフラメンコ・ギターと真のクラシック・ギターとの中間のものとなり、荒々しくもなければ甘美でもありません。
このようなギターは、ソロ・フラメンコ・ギターのコンサート演奏の専門家の要請によって生まれたのであって、彼らは伝統的な楽器に、伝統的な動きの必要性を感じ、そしてやや活発な大きな音が不足していると感じるのです。
この楽器の型は、現在スペインの若い尖鋭な演奏家、パコ・デ・ルシアやマノロ・サンルーカルに愛好されています。
フラメンコ・ギターの構造上の専門的性質は、クラシックのそれよりやや単純です。
スペインでは見習工が最初に作るギターは、伝統的なフラメンコ型です。
しかし本物のフラメンコの音を創るのは、生易しいものではありません。
注目すべきは、クラシック・ギターの最良のものの幾つかは、今や他の国の製作家によって作られますが、フラメンコ型の構造では、スペイン人が完全に傑出し続けています。
スペインでも大抵の優れた製作家が、両方の型を製作し続けていますが、フラメンコ・ギターの構造は少数のギター職人によって左右されています。
これはトーレスの時代からの伝統です。
製作家には、フラメンコの音と、精神への、ある感覚がギターを製作するために要されるようです。
過去の偉大なフラメンコ・ギター製作家は、大抵そのクラシック・ギターも同様に有名です。
初期の製作家、例えばトーレスその人、アリアス、そしてマヌエル・ラミレス(1866―1916)は、両方の型に卓越していました。
今世紀前半、あの戦争の後の驚くべきクラシック・ギターの普及より以前には、フラメンコ・ギターの収入が、スペインの製作家を支えていたのです。三人の製作家が、他を圧倒していました。
今世紀では、サントス・エルナンデス(1873―1942)が、疑ひもなく最も有名なフラメンコ・ギターの製作家です。
彼はマヌエル・ラミレスの弟子でした。ラミレスの死後、その未亡人のために数年働き、1920年代に自分の店をマドリッドに構えた。彼のアデュアナ27番地の店は、当時の筆頭の演奏家達が集まるところとなりました。
その中にはラモン・モントーヤがおり、アントニオ・チャコンがおり、そして“ギターの詩人”として知られた人々がいました。
サントスの楽器は、彼の生涯を通じて最良のフラメンコ・ギタリスト達に熱心に求められました。
今でも、彼の死後30年経ているのではありますが、彼らは情熱的に探し求めており、非常な高値をつけています。
もちろん博物館に入れるためではなく、演奏する楽器としてであります。
サントスの同時代のフラメンコ・ギター製作家の競争者に、ドミンゴ・エステソ(1882―1937)がいます。
彼はマヌエル・ラミレスのもう一人の弟子でした。
エステソのギターは、軟弱さというのとは異なる、柔かさ、甘美さのある、特別な楽器です。
外見的には、単純な、然し、深い情熱を持ったペリーコ・エル・デル・ルナールのような演奏家に向いていました。
今世紀の三番目の殆ど伝説的なフラメンコ・ギターの製作家は、マルセロ・バルベロ(1904―1955)です。
彼はその工法を、ホセ・ラミレス二世と共に学びました。
バルベロは、サントス・エルナンデスの未亡人に一時雇われていました。
彼はその時に、自分の仕事に役立つ、老匠の楽器を試奏し、修理する機会を得たのです。
バルベロは亡くなる1955年には、殆どの優れたギタリストのために、ギターを作り上げていて、たぶん今日のフラメンコ・ギター製作家の中では最も良く知られているコルドバのマヌエル・レイエスに、測り知れぬほどに貴重な忠告を残したのです。
戦争からこの方、クラシック・ギターの需要は、フラメンコのそれを完全に上回りました。
しかし少数のフラメンコ・ギター製作の専門家は残っており、職業演奏家の内で格別の名声を得ています。
マヌエル・レイエスだけが、フラメンコスタイルの方を好んでいるわけではありません。
マヌエル・レイエスはマドリッドのコンデ兄弟(叔父のドミンゴ・エステソの仕事場を後継している)にも、また若いアルメリアのジュルンディノ・フェルナンデスにも、良き競争相手とみなされています。
これらの職人達は、名人芸的に、あやまつことなき楽器を、本格派で、かつ高い水準にある、今日の優れた演奏家に供給できるでしょう。
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