フリジア旋法(3)【フラメンコの起源と発展(3)】

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フラメンコの起源と発展(3)

 現代フラメンコ芸術の背景は、推測するしかないところがあり、その原形がジプシーや浮浪者、貧民、被圧制者の音楽であったことによって、複雑さを増しています。

 何世紀もの間、秘密と深い神秘性とがジプシーの風習についてまわりました。そして秘密性は、今日まで多くのフラメンコの性質の一要素です。

 何世紀にも渡るスペインが受けた、他文化の影響の多様性は、その痕跡をフラメンコに残しています。この音楽の幾つかの特徴は、その最初の形態を、かすかにしのばせています。
 それらのうちで最も重要なのは、初期の音階体系の頻繁な使用であり、殊にフリジア施法の使用です。

 これは初期のキリスト教会の施法音階であり、18世紀に集約され、変化しない15の音によって、古代ギリシアの全音階として成立したのです。

 それぞれが音階(またそのオクターヴ)の7つの原音によって形成され、音階を構成する15番目と14番目の音が、完全な法則に従っていました。

 約3000年ほど昔の、古代ヘブライ音楽に、これに非常に似た施法音階が使用されていたことは、殆ど確かです。
 それゆえにフラメンコの施法音階の永続性を幾人かの論者に、その原形がヘブライのものであるとか、ギリシアであるとか初期のキリスト教音楽であるとか、色々に思わせたのです。
 しかし施法の構造は、古代音楽の様々な型式に根源を有するものです。

 従って我々には、ただフラメンコの曲中、いくつかの古いもので、知られたものの音楽型式は、その系統の中にあると言うしかないのです。


 けれども、なぜ施法音階が、他の大抵の西洋音楽から消えて後も、フラメンコの中にながく残ったのか、詮索するのは価値のあることです。

 これに対する解答は、おそらくスペインへの、イスラム教文化による極めて重要な影響、およびムーア人の追放に引き続いたできごとのなかにあるでしょう。


 ムーア人のアルアンダル(『ヴァンダルスの地』現在のアンダルシア)征服は、711年のことであり、以後ムーア人は、1492年フェルナンド王とイザベラ女王とによって、グラナダから最後の追放をなされるまで、イベリア半島を支配しました。

 8世紀の半端ちかくまで、スペインはイスラム帝国の一部でした。
 イスラム帝国は、遠くインダス川にまで及び、帝王は芸術や学問を振興しました。科学、哲学、文学、視覚芸術、音楽の分野でスペインにイスラム文化の偉大な核が育まれました。
 コルドバのモスクやグラナダのアルハンブラ宮殿は、当時の証明として今も存在します。

 侵略者は破壊ではなく、同化をしたのです。
 たとえば征服民族は、イスラム教と並存して、被征服者の固有の宗教を維持することを許しましたし、アラブ人が奨励したのは、自分達の学問のみではなく、彼らが同化しようとする人達の、それもでありました。

 スペインに与えた音楽的利益は、大きかったのです。またアラブ人がもたらした影響は、フラメンコの中に聞くことができます。



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