草の宿(52)
小屋の中には、見渡せばいくつも、変化がありました。
以前は、寝泊まりの場所を作業場から仕切るのは、積み上げられた炭俵と、梁に吊り下げられたムシロでしたが、今は杉板の壁が作られていて、立派な部屋になっていました。 その部屋の入り口が、そもそもは小屋の扉だったササの戸です。
「これは、かあさんが手をかけて編み込んだもんだ。おいそれとは捨てられないさ」
祖父は、少年が驚いているのを、おもしろそうに見て、つぶやきました。
少年は、クマザサの枝と、アケビの蔓で編み込んだ戸を、しげしげと眺めました。久しぶりで見る戸ですが、その丹念さに、母のふだんの仕事ぶりが思い浮かびました。
母の口癖までも、思い出しました。
「尋夫、仕事はマテイにしなさい。カラッポヤンデはダメだよ」
マテイとは、真丁寧の意でしょうか。カラッポヤンデは、「空っぽ病んで」の意でしょうか。
「このマテイさは、かあさんらしいな」
少年がつぶやきました。
「全くだ。こんなものを、誰に教わったわけでもない。たぶんアケビの蔓のカゴを見て、いつかこんなものを作ってやろうと思ってたんだな。それで作ってしまうんだから」
祖父が少年のつぶやきに応えるように言いました。
「それにしても、ずいぶん様子が変わったね」
「小屋の中か。おまえが一年も来ないからだよ。何が変わってるんだ」
少年は見回しました。部屋の中央の囲炉裡には、変化はありません。しかし囲炉裡の上に、真新しい簀子板が吊り下げられています。
「この吊り棚」
「おお、それか。去年からネズミが多くてな。食い物は、そこか、箱に入れるか、雪に埋めるかしないと、すぐにやられるんだ」
「ネズミ対策なのか。そういえば雪の上にも、ずいぶんネズミの足跡があったなあ。どうかしたら、ウサギの足跡よりもたくさんあるところもあったよ」
「もう、十年も前だがな」と、祖父が囲炉裡の熾火を掻き出し、その上に炭を乗せながら言いました。
「やっぱりネズミが多い年があった。この小屋を造る前だ。あれはブナの実だな。あの年はブナの実が、ずいぶん実ったんだ、なにしろカマスで保存できるほどの実だった。おれはまだ、夜明島の小屋で炭を焼いていたんだが、だいぶ、ブナの実で酒を飲んだよ」
「ブナの実はうまいね。栗や、カシバミよりもうまい」
「うん、だが今年のネズミは、ササの実だ。この辺り一帯のクマザサに実がなったんだ。ブナの実の時の比じゃないね。あんまり、夜中に、頭の回りを走り回るんで、罠をこしらえてやったよ。知ってるか、ネズミの罠だ」
「ネズミ罠って、あの、パチンコかい?」
祖父が笑い出しました。
「なんの、どうして。あんなパチンコ式の罠で間に合うもんか。まあ、何でもいいんだが、まず石油缶がいちばん適当だな。缶の入り口に枡落としを細工して、土に埋めるのさ。エサは何でもいい。煮干しにシラシメ油をかけておけば、上等だ。缶の中には水を張っておくんだ」
「そんなのでネズミは掛かるかい」
「掛かるなんてもんではなかったな。ふたつ、この小屋の入り口に埋めたんだが、一晩で、二十匹ほど掛かっとったな」
「二十匹!!石油缶に二十匹のネズミかあ」
「驚きもしたが、あきれもしたな。まず処置に困ったな。その辺に放ったらかしにして、腐ったらどうする。まず、カラスに持って行ってもらおうと思って、並べておいたがな。カラスも、どこでもネズミが手に入るらしくて、なかなか全部を持って行ってくれないんだ。仕方がないから埋めてやったよ。ネズミのお弔いだ。それを十回ほど繰り返したが、いっこうに減らん」
テクノラティプロフィール
小屋の中には、見渡せばいくつも、変化がありました。
以前は、寝泊まりの場所を作業場から仕切るのは、積み上げられた炭俵と、梁に吊り下げられたムシロでしたが、今は杉板の壁が作られていて、立派な部屋になっていました。 その部屋の入り口が、そもそもは小屋の扉だったササの戸です。
「これは、かあさんが手をかけて編み込んだもんだ。おいそれとは捨てられないさ」
祖父は、少年が驚いているのを、おもしろそうに見て、つぶやきました。
少年は、クマザサの枝と、アケビの蔓で編み込んだ戸を、しげしげと眺めました。久しぶりで見る戸ですが、その丹念さに、母のふだんの仕事ぶりが思い浮かびました。
母の口癖までも、思い出しました。
「尋夫、仕事はマテイにしなさい。カラッポヤンデはダメだよ」
マテイとは、真丁寧の意でしょうか。カラッポヤンデは、「空っぽ病んで」の意でしょうか。
「このマテイさは、かあさんらしいな」
少年がつぶやきました。
「全くだ。こんなものを、誰に教わったわけでもない。たぶんアケビの蔓のカゴを見て、いつかこんなものを作ってやろうと思ってたんだな。それで作ってしまうんだから」
祖父が少年のつぶやきに応えるように言いました。
「それにしても、ずいぶん様子が変わったね」
「小屋の中か。おまえが一年も来ないからだよ。何が変わってるんだ」
少年は見回しました。部屋の中央の囲炉裡には、変化はありません。しかし囲炉裡の上に、真新しい簀子板が吊り下げられています。
「この吊り棚」
「おお、それか。去年からネズミが多くてな。食い物は、そこか、箱に入れるか、雪に埋めるかしないと、すぐにやられるんだ」
「ネズミ対策なのか。そういえば雪の上にも、ずいぶんネズミの足跡があったなあ。どうかしたら、ウサギの足跡よりもたくさんあるところもあったよ」
「もう、十年も前だがな」と、祖父が囲炉裡の熾火を掻き出し、その上に炭を乗せながら言いました。
「やっぱりネズミが多い年があった。この小屋を造る前だ。あれはブナの実だな。あの年はブナの実が、ずいぶん実ったんだ、なにしろカマスで保存できるほどの実だった。おれはまだ、夜明島の小屋で炭を焼いていたんだが、だいぶ、ブナの実で酒を飲んだよ」
「ブナの実はうまいね。栗や、カシバミよりもうまい」
「うん、だが今年のネズミは、ササの実だ。この辺り一帯のクマザサに実がなったんだ。ブナの実の時の比じゃないね。あんまり、夜中に、頭の回りを走り回るんで、罠をこしらえてやったよ。知ってるか、ネズミの罠だ」
「ネズミ罠って、あの、パチンコかい?」
祖父が笑い出しました。
「なんの、どうして。あんなパチンコ式の罠で間に合うもんか。まあ、何でもいいんだが、まず石油缶がいちばん適当だな。缶の入り口に枡落としを細工して、土に埋めるのさ。エサは何でもいい。煮干しにシラシメ油をかけておけば、上等だ。缶の中には水を張っておくんだ」
「そんなのでネズミは掛かるかい」
「掛かるなんてもんではなかったな。ふたつ、この小屋の入り口に埋めたんだが、一晩で、二十匹ほど掛かっとったな」
「二十匹!!石油缶に二十匹のネズミかあ」
「驚きもしたが、あきれもしたな。まず処置に困ったな。その辺に放ったらかしにして、腐ったらどうする。まず、カラスに持って行ってもらおうと思って、並べておいたがな。カラスも、どこでもネズミが手に入るらしくて、なかなか全部を持って行ってくれないんだ。仕方がないから埋めてやったよ。ネズミのお弔いだ。それを十回ほど繰り返したが、いっこうに減らん」
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