ホタル

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ホタル

 ワラシは、その夜もむづがるをんだつた。

 祖母がワラシば、低い声でなだめでだをんだ。むづかる声も、なだめる声も、部屋の中さ時折そよぎ込んで来る、初夏の夜の風みてつた、途切れがちな、か細いものであつたをんだつす。

 ワラシの母親は、わだすの妹だをんだ。
 妹は仕事のために長く家ば留守にしてゐて、この一人娘ばあやしてやるごどはでぎません。

 わだすは、いぎなりいつしよに暮らすやうになつたワラシの、父親の代はりの、豊かな力になるごどば願つてをりますた。

 んだども、ある日不意に身近に現れたワラシだはんで、途惑つてもをつたもんだのです。
 幸福ななりゆぎで、同居するごどになつたをんではね幼児に、わだすは緊張すらも感じてゐだのだす。

 時には、わだすの大人の男の資格ば疑ふごどによつて、そすてもつとしばしば怠惰のために、わだすはワラシにとつて、優しい肉親ではねがつたのだんす。
 わだすは、わだすもまだ父親ば知らねで過ごした、わだすのワラシ時代ば思つたりしてあつたをんだつす。

 無力感は次第に、なんもすべきでね、といふ思ひに転じるかのよんだつたつけ。
 背後のワラシの泣き声は止まねがつけ・・・・。

 明け放した窓がら、初夏の小虫が、わだすの机の上の光ば目ざして飛んで来たのだす。緑色の小虫は、広げた本の頁の上に下り、その小さな体にはあり余る程の、豊かな光ば浴び始めだのす。

 んだども、わだすはこの幸福な日光浴ば楽しみだした小虫ば、邪慳に頁の上がらはじき出さうとすたのだつす。
 小虫は、わだすの指と遊戯ばするみてたに、跳んだもんだつす。
 頁がら机の上さ、それがら照明のスイッチの上さ、跳んだもんだつす。

 わだすは追ひつめるものになつて、息ばひそめてスイッチば押さえでみだのつす。小虫は、はぢけたみでにどつかさ失せ、指先は空しく、スイッチば押すてあつたのだんす。

 闇が、不意に部屋ば満たすたのだつす。

 ワラシの泣き声が止みますた。祖母が、ためた息ば、静かに吐いたおんだつす。

 わだすは、緑の小虫ば忘れてありますた。
 背後の闇さ向けて、じぇんぶの感覚ば集中させますた。

 わだすは、ワラシに、呼びかけてやりたいと思ひますた。
『泣き声ば、煩はしく思つてゐるのではねえのんだはんで』、つて・・・・。



 いぎなりワラシの甲高い声がすますた。

 祖母の声が、それに和すますた。
 わだすは、耳ばそばだてますた。

 わだすは二つのその声の中に、んだども、予測したもんではねがつた、何だが明がるい驚ぎがこもつてゐだのば聞いだをんだつす。

 「蛍だべ」

 「んだね、蛍だをんだよ」

 ・・・・何としたもんだべが、ワラシの声もバッチャンの声も、浮がれたみてたにはずんでをつたもんだもの。

 背後にはりついた凍てついたものば、何ががすばやく溶かすのば、わだすは感じでをりますた。

 暗闇ば見回してあつたのす。だども闇のどこさも、あの小つちえ光が、輝いてゐるのば見つけるごどはでぎねがつたのす。

 「背中し、背中」

 ワラシが夢中になつたよんた声で叫んだのつす。

 「背中し、背中」

 バッチャンの低い笑ひば含んだ声が、同じ言葉ば言つたのす。わだすは、息ば深く吐きますた。

 二人ば喜ばせだ、ちつちやこい光は、こわばらせてゐだ、わだすの背中さ灯つてるずおんだど・・・・。

 わだすはわだすの背中さ灯つてゐる、小さな光ば思ひ描きますた。
 それがらワラシに、初ずめで慕はしく声ばかけられたみてつた気分に気づぎ、それば確かめてをつたをんだつす。

 小つちえ手が、わだすの背中さ触れますた。
 ワラシはわだすの鼻先に、光ば乗せた、小さい掌ばさしだしますた。

 青い、丸い、搖れる小つちえ光が、ワラシの手の平の筋ば、照らしてあつたのす。わだすは、わだすの指先で柔かいワラシの手の中に、小さな光ば囲む円ば描きますた。

 それが、わだすが、このワラシに触れた最初だつたのだす。喉の奥でワラシは小つちやぐ、笑つたもんだつす。

 「逃がしてたんへ」

 バッチャンが言つたをんだつす。わだすは闇の中で、その声に振り向いだおんだ。その言葉ば、とつさになぢつてをつたをんだつす。

 「うん」

 わだすは驚きますた。

 ワラシの声には、かすかななごりば惜しむ気配があつたをんだすが、確信に満ちた即答んであつたもんだすけ。

 明け放した窓がら、ワラシは小さな光の玉ば乗せた、右手ば高くかかげますた。

 光の玉は、なほ掌の上にとどまり、歩み、ワラシは何がば、支へるみてつた姿勢で、それが飛びたつのば待つてをりますた。

 わだすも祖母も默つて見つめて待ちますた。

 小さな光はおもむろに移動し、ワラシが羊草の花みてに軽く丸めた、指先ば上りつめ、ひと呼吸の間ばおいてそれば離れますた。

 浮き上がり、ワラシの頭ば越ゑ、あるがなしが流れてきた風に搖れて、弧ば画きますた。

 窓ば離れ、廂ば越ゑ、林檎の枝ば越ゑてまだ上り、それがら不意に、晴れ渡つた天にちりばめられた星々のあはひに、紛れですまつたのであつたのです。

 わだすたちは窓により、なほ小さな輝きば星の中ささがして、天ば仰いでをりますた。

 やがてあの光が上つていつた、天の遥かな高みがら、星ば刻むよんた、夜鷹の啼き声が流れてきてあつたのです。



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