寒気の結晶【草の宿(28)】

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草の宿(28)

 「橇っ」

 背の高い男が、壁に向かって歩きながら、大声で怒鳴りました。
 壁には、赤犬の毛皮が吊るされています。

 他の男達もてんでに、慌ただしく身仕度を始めました。一人が、防寒衣のボタンをはめながら、外に走り出ました。

 開け放した入口から、寒気が風になって吹き込んできました。部屋の中の熱気は、一瞬にしてかき消されました。

「蒲団、それを橇に敷くのよ。それから毛布で杉山さんを包むのよ」

 椅子の上の病人は、間断をもって呻きつづけていましたが、そのあえぎの中から、かすれた声を出しました。

「おかみさん、手数をかけるな。すまない」

 おかみさんは、目を堅く閉じている、男の顔をのぞき込みました。

「杉山さん、ちょっとの辛抱よ。すぐに、お医者のところに連れていってあげる」

 男は、それには返事をしませんでした。
 縮めていた両脚を、急に伸ばしました。筋肉が弛緩し、足が、物のように床の上に落ちました。よじって、横たえていた上体も、転げ落ちそうになりました。おかみさんがそれを支えてあげました。

 男の、閉じられた目蓋と唇は、震えが止まりません。
 怒張した額の血管が、人の好い表情を崩したことがなかった、この男の顔を、かつてなかった険しいものにしていました。

 入り口に、男達の声が聞こえました。女達が、夜着を抱へて、出て行きました。

「これでいい、杉山さんを運べ」

 その声と共に、男達は防寒靴のまま部屋に入って来ました。
 おかみさんと若い女は、杉山の体を毛布で包み込みました。五人の男達が、厚く包まれた病人の体を、ゆっくりと持ち上げます。

 突然、男が目を開きました。
 溶けかけた飴のように潤んだ眼球は、瞳の輪郭が定かでない程に赤かった。

「このままにしてくれ、もう」

 それは、弱い、かすれた声でしたが、全身からしぼり出したかのように、体が揺れるのを、男達は腕に感じました。

「辛抱してくれ、杉山さん」

 男達は、息をひそめて、病人の体に振動を与えないようにして、あたかも、にじり口から出る時のように、身をよじり、半間巾の戸口を抜け出ました。

 寒気が、緊密に張りつめています。
 男達には、目には見えない寒気の結晶が、露出した肌の部分に、まとわりつくような気がしました。体の中の酒精が、吐く息に混じり、寒気の結晶に吸着されていくようでした。



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