医者は入院中【草の宿(27)】

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草の宿(27)

 おかみさんは、若い女に腕をとられたまま、厨房を駆け抜けました。
 若い女は、走りながら流し台に脇腹をぶつけましたが、声を上げもしませんでした。その様子に、おかみさんも、訝しむ気持ちではなくなっていました。

 酒宴の席に、男達は、総立ちでした。
 部屋全体に、膨れ上ったような、ストーブの熱気と食べ物の匂いが、部屋に入った、おかみさんにまとわりつきました。
 おかみさんは男達の体を押しのけて、円陣の中を覗き込みました。椅子が三つ並べられ、その上に、小太りの男が上体をねじる格好で横たわっています。
 常にも増して、膨れて見える顔が、牛肉の色のように染まり、水をかぶったように汗が吹き出ています。料理番の女が、タオルでその顔を拭った。

「おかみさん」

 男の一人が、途方に暮れたように呼びました。

「一体、何を食ったんだろう」

 おかみさんは声の主を、ちらりと見ました。腹が痛むのは、すべて食中毒のせいだと考えているらしいその男を、一瞬、おかみさんは軽蔑したのです。

「何がって、あなた方が食べたものといっしよのものだわよ」
「兎の肉で腹を痛めることなんかあるもんか」

 汗を拭いてやっていた女が、顔を挙げて甲高い声で、叫ぶように言いました。

「とにかく、こんな格好で寝かせておいてはいけない。ちやんと敷団に寝かせてあげなければ」

 椅子の上の男の口から、押し殺したような呻き声が漏れました。
 膝を抱えるようにして、縮めた両脚が、小刻みに震えています。三脚の椅子が、カタカタと音を発てました。

「医者だ。これは普通の痛み方じゃあない。医者でなければ、どうにもならない」

 その声に、皆一様に顔を見合はせるのでした。診療所に、医者は不在でした。
 医者は、半月ほど以前にスキーで骨折し、自ら患者になって、隣町の病院に入院していたからです。

「歳もわきまえないで、スキーなんかに手を出した薮医者め」

 途方に暮れた男達は、一斉に医者の悪口を言い出しかけました。
 おかみさんがそれを遮りました。

「仕方無い。連れて行くのよ、隣町まで」
「こんなに苦しんでいるのよ、動かしていいの」

 若い女が、悲鳴のような声で言いいました。痙攣したように、震え続ける病人の脚を支えて、若い女は泣いていました。

「あっちの医者は来てはくれないよ。なんでも、あっちの町中の往診すらも、渋るって話だ」
「小娘の後添を貰ったばかりだ、来る訳がない」
「碌な医者じやあないな、あっちも。先の女房は、おのれが殺したんじゃあないのか」

 若い女は、本当に声を上げて泣き出しました。

「然し、俺たちにはやり方がわからんのだ」

 男達は、円陣を崩しました。



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