草の宿(5)
少年は箱橇の中で、凧の糸を、そろそろと繰りだそうとしました。
「いきなり、どんどん繰りだしちやあ、いけないよ」と、誰かの声が耳の奥で聞こえるような気がします。大人の声のようでも、友だちの口々に叫ぶ声だったようにも思われました。少年は、それらの声に、体の奥から、カッと熱くなるものが湧いてくるような気がしました。
『落としたくない、落とすもんか。ここががんばりどころなんだ。ギュッと引き締めながら、そろりそろりと糸を出すのさ。知ってるよ」
しかし、やっと五メートルばかり空に上がったばかりの凧なのに、その引きの強さは、少年が凧と引き合った、これまでのどれよりも強烈でした。
『ここで負けて、糸をくれてやったら、落ちるんだ。知ってるよ、何度も落としてきたんだ。みんなに笑われたんだ。負けるもんか。』
少年の意気ごみを試しているかのように、沢を吹き降りて来た風は、凧をグッと空にさらっていこうとします。
少年は、箱橇の中で足を踏んばりました。
上体を、もっていかれそうで、踏んばるしかないのです。糸巻きを取り落として、両の手で、糸をつかみました。毛糸の手袋を通して、震へる糸が、指に痛いほどです。少年は、ついに大声をだした。大声で叫び、自分を鼓舞しました。
「吹けえ、もつと、もつと吹けえ。いい風だぞ、今日の風はいいぞ。もつと、もつと」
するすると、握りしめている糸が、手の中から逃げだし、少年の熱さは極まります。
これだけするすると逃げる糸なのに、凧は落ちるどころか、ますます上をめざしてゆくのです。
『こんなの初めて』
少年は、風に負けるくやしさや、不安を忘れ、ただ上に引く凧の力に、今や歓喜の中にありました。絶対に落ちない凧というものが、あったのです。
力まかせに、糸を胸もとに引き寄せようとすると、ガクンと全身が動きました。凧の引きに、箱橇が動き出したのです。
少年は、少し焦りました。
『動いちやダメ。知ってるぞ、動いたらだめなんだ。凧についてったらだめなんだ』
しかし、そんな焦りも、ものかは、風は、グンと橇もろともに、少年を引きずり始めました。
信じられない力、だが、なんと充実した力でしょう。少年は、ついに落ちることの無い凧を手にしたのです。
箱橇は、風の引くままに滑り出し、なのに糸は少しも緩むことなく、凧と少年の手の中で、ピアノ線のように張りつめたままなのです。
大人が引くような、強い力でした。
風は、今や、幾つもの勾配も、ものともせずに、箱橇を運んでいました。少年は、脚を踏んばり、もう一度叫びました。
「登れ、あの坂を登って行けえ」
凧は、少年の声に更にふるいたったように、力強く橇を引きました。
テクノラティプロフィール
少年は箱橇の中で、凧の糸を、そろそろと繰りだそうとしました。
「いきなり、どんどん繰りだしちやあ、いけないよ」と、誰かの声が耳の奥で聞こえるような気がします。大人の声のようでも、友だちの口々に叫ぶ声だったようにも思われました。少年は、それらの声に、体の奥から、カッと熱くなるものが湧いてくるような気がしました。
『落としたくない、落とすもんか。ここががんばりどころなんだ。ギュッと引き締めながら、そろりそろりと糸を出すのさ。知ってるよ」
しかし、やっと五メートルばかり空に上がったばかりの凧なのに、その引きの強さは、少年が凧と引き合った、これまでのどれよりも強烈でした。
『ここで負けて、糸をくれてやったら、落ちるんだ。知ってるよ、何度も落としてきたんだ。みんなに笑われたんだ。負けるもんか。』
少年の意気ごみを試しているかのように、沢を吹き降りて来た風は、凧をグッと空にさらっていこうとします。
少年は、箱橇の中で足を踏んばりました。
上体を、もっていかれそうで、踏んばるしかないのです。糸巻きを取り落として、両の手で、糸をつかみました。毛糸の手袋を通して、震へる糸が、指に痛いほどです。少年は、ついに大声をだした。大声で叫び、自分を鼓舞しました。
「吹けえ、もつと、もつと吹けえ。いい風だぞ、今日の風はいいぞ。もつと、もつと」
するすると、握りしめている糸が、手の中から逃げだし、少年の熱さは極まります。
これだけするすると逃げる糸なのに、凧は落ちるどころか、ますます上をめざしてゆくのです。
『こんなの初めて』
少年は、風に負けるくやしさや、不安を忘れ、ただ上に引く凧の力に、今や歓喜の中にありました。絶対に落ちない凧というものが、あったのです。
力まかせに、糸を胸もとに引き寄せようとすると、ガクンと全身が動きました。凧の引きに、箱橇が動き出したのです。
少年は、少し焦りました。
『動いちやダメ。知ってるぞ、動いたらだめなんだ。凧についてったらだめなんだ』
しかし、そんな焦りも、ものかは、風は、グンと橇もろともに、少年を引きずり始めました。
信じられない力、だが、なんと充実した力でしょう。少年は、ついに落ちることの無い凧を手にしたのです。
箱橇は、風の引くままに滑り出し、なのに糸は少しも緩むことなく、凧と少年の手の中で、ピアノ線のように張りつめたままなのです。
大人が引くような、強い力でした。
風は、今や、幾つもの勾配も、ものともせずに、箱橇を運んでいました。少年は、脚を踏んばり、もう一度叫びました。
「登れ、あの坂を登って行けえ」
凧は、少年の声に更にふるいたったように、力強く橇を引きました。
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